沿革

観定寺の歴史

 観定寺は、大江神社の社寺として創建され、平安時代は天台宗の寺院であったと伝えられています。

 15世紀後半、天台宗から浄土真宗へと改宗し、現在、その歴史を語る開基仏(方便法身尊像)が伝えられています。その裏書には本願寺宗主実如上人(1489年~1525年)から、「興正寺門徒豊前国下毛郡大家郷海津村 願主釈浄西」に、永正二年(1505年)7月14日に下付されたことが記されています。これにより本願寺門末の寺院となった観定寺は、現在に至るまで500年以上の長きにわたり門信徒の力によって、親鸞聖人のあきらかにされた浄土真宗の教えを伝えてまいりました。

 混沌とした世の中にあって、真実の法を伝えつづけるお寺として、今後も歩みを進めてまいります。


本尊・阿弥陀如来

 

浄土真宗の御本尊を安置する観定寺の本堂は、江戸時代享保年間に建立され現在に至っています。その歴史が本堂の棟札に記されています。

(棟札)
上棟銘曰
伏以讃云於 諸佛之護念證誠者 悲願成就之故者 得金剛心人 可報弥陀大恩 故号悲願成就山諸佛護念堂矣 事実不遑書應知旹享保廿一歳丙辰夏四月十一日功畢
觀定寺現住香雲敬白
願主 惣門徒中
木工寮
薗田弥兵衛尉重則
奥村徳左衛門尉元治
材木施主 一戸邑 浄信

(書下)
上棟ノ銘ニ曰ク
伏シテ讃ヲ以テイワク 諸佛ノ護念證誠ハ 悲願成就ノ故ナレバ 金剛心ノ得ン人ハ 弥陀ノ大恩報ズベシ 故ニ悲願成就山諸佛護念堂ト号スト 事実書ニ遑アラズ 應ニ旹ニ享保廿一歳丙辰夏四月十一日ニ功畢ンヌコトヲ知ルベシ

(意訳)
謹んで、宗祖親鸞聖人のご和讃をもって申し上げます。
諸佛の護念が証されるということは、佛さまの悲願が成就しているからであります。
よって、何よりも堅い金剛の信心を得た人は、阿弥陀さまのはかりしれない御恩を報じなければなりません。 
このご和讃のおこころをいただき、このお御堂を「悲願成就山諸佛護念堂」と号します。一つ一つの事実を書き記すいとまはありませんが、ときに享保二十一年(一七三六年)丙辰夏四月十一日に、この尊い事業が成し遂げられたことを必ず知っておかなければなりません。
觀定寺現住職 香雲敬って申し上げます。

(觀定寺記)
大正十三年頃、父(觀定寺第十五世琢成)ノ話ヨリ調査ノ結果上記ノ銘ヲ発見
昭和八年八月後日ノタメ寫ス  
詮成(觀定寺第十六世住職)記

古く観定寺に言い伝えられてきた「上棟の銘」の言葉が、調査の結果発見されたことを、第十六世住職が、昭和八年八月に写し残しています。


観定寺歴代

 開基 淨西
 二世 淨喜
 三世 覚春
 四世 賢惠
 五世 周月
 六世 賢良
 七世 義津
 八世 香雲
 九世 廣惠
 十世 聞慶
十一世 一道
十二世 大成
十三世 圓成
十四世 惠教
十五世 琢成
十六世 詮成
十七世 憲成